2007年6月7日木曜日

中東の都市鉄道(8)アラブ首長国連邦ドバイの都市鉄道計画


ドバイの都市鉄道計画

アラブ首長国連邦のドバイは急速に発展しつつあり、豊富な石油資金などにより高層建築の建ち並ぶ大都会に発展をとげつつある。 ここに日本の技術により、中東初の全自動無人運転鉄道システムが建設されることになり、建設をはじめ設備全体は、三菱商事、三菱重工業、大林組、鹿島など5社連合が受注した。また車両は近畿車輛が385両を受注して2008年から出荷する。 2路線、69.2km、57駅のプロジェクトで2009年9月に第1期分が開通する計画である。RED LINEが50km、57駅、GREEN LINEは19.2km、22駅となっている。

中東の都市鉄道(7)イラク、バグダッド地下鉄計画


バクダッドの地下鉄計画

バクダッドには以前から地下鉄の計画があったが、イラク戦争のあとの混乱が長引き、建設工事再開が待たれている。

中東の都市鉄道(6)イラン、シラーズ地下鉄計画


シラーズ地下鉄 

シラーズは1600mの高地にあるため、四季を通じて気候が穏やかで街には庭園など緑が多く、バラの美しさはとくに有名である。古くから芸術や文学の中心地でもあり、有名な詩人の出身地としても名高い。世界遺産ペルセポリス訪問の基点でもあるため、イスファハンについでイラン第2の観光地である。 ここも地下鉄を計画中であり、計画路線図ができている。

中東の都市鉄道(5)イラン、イスファハン地下鉄計画



イスファハン地下鉄 

イスファハンは「イランの真珠」ともたたえられる古都で、美しいイマーム広場は世界の半分ともいわれている。1597年にアッバース大帝がこの地を首都を定めたことからこの地の栄華が始まった。 この観光地で地下鉄4路線の建設が計画され、そのうち南北線の一部A線4.7kmが目下 建設中である。計画では南北B線21.9km、南北C線16km、南西線43km、東西線20kmほかとなっている。

中東の都市鉄道(4)イラン、マシャードの地下鉄計画


マシャードの地下鉄

 マシャードはイスラム教シーア派にとってメッカの次ぐ重要な聖地である。イランだけでなく、近隣諸国からも多くの巡礼者がこの地をめざしてぞくぞくとやってくる。ここが聖地になったのは817年に8代目のエマーム・レザーがここで殉教したことによる。多くの巡礼者が市内にあふれるので、都市鉄道の建設が急がれている。 地下鉄1号線、2号線、3号線が計画され、1号線(19km、22駅)が目下建設中である。そのうち地下部分が10.5km、11駅である。既に地上部分は完成していて、目下地下部分を鋭意建設中といわれる。

中東の都市鉄道(3)ハイファの地下ケーブルカー

ハイファの地下ケーブルカー 

ハイファはイスラエル北部の地中海に面した工業都市で、イスラエル北部観光の拠点でもある、人口28万人の美しい港町である。サンフランシスコやナポリにも匹敵するともいわれる美しい町で、ソロモンの詩でもたたえられている。アラブの香りと十字軍の痕跡を随所に残す観光都市である。 1959年に、海岸近くの商業地区とCarmel山頂の住宅地区を結ぶために、高低差274mの全線地下のケーブルカーを開業した。海側のParis Square駅と山頂のGam Ha'em駅間の1.75kmの単線で、途中にすれ違い用の複線部分を一部設けている。駅数は6で、開業時から現在まで変わらない。 車両は2両永久連結方式で、空気ゴムタイヤを使用。列車の運転は地上に設置した電動機2台により、ケーブルで車両を索引する。 山頂駅近くにCarmelit修道院がある関係から、この地下鉄の社名と愛称は「カルメリットCarmelit」という。

中東の都市鉄道(2)テヘラン地下鉄

テヘランの地下鉄

 テヘラン市の地下鉄は1960年代から計画され、1976年にはフランスの会社によりいったん着工された。しかし2~3kmのトンネルが掘られた段階でイラン・イラク戦争が勃発し、資金難も重なって1981年以来工事は中断されていた。工事は1986年から再開され、中国の全面的な援助により進められたといわれている。工事再開後13年余を経て、2000年2月に東西に走る2号線の一部(Imam Khomeini--Tehran間8駅9.5km)が開通した。 これと市の中心部のImam Khomeini駅で直角に交わる南北に走るの1号線が2001年8月に完成した。これらにより、市内の交通渋滞と大気汚染の解消に大きな効果が得られつつある。その後1号線は南北にそれぞれ延伸され、2号線は東へ地下を延伸されつつある。 なお、トンネル工事は開削工法および山岳トンネル工法により施工された。更に3号線、4号線が計画され、近く工事が始まる予定。なお5号線と称されているのは地下鉄2号線の西のターミナルTehran駅から更に西のKaraji駅までの31.5kmを高速で往復する郊外急行線のことである。

中東の都市鉄道(1)概説

中東の都市鉄道

中東では現在、稼動している都市鉄道としては、イランのテヘランの地下鉄2路線とイスラエルのハイファという都市の地下式ケーブルカーくらいである。 しかしこの地区の都市鉄道の計画は次々に明らかにされている。近い将来には都市鉄道がたくさん見られると思うと嬉しい限りである。とくにイランが圧倒的に多く、この分野でこの地区のリーダーになると予想される。
計画のある都市を下記する。

○イラン   
イスファハン--計画は4路線でその最初の路線の開通は近いといわれる。   
マシュハド--―1号線の地上部分は既に完成し目下地下部分の建設中。   
シラーズ、ダブリーズ、アフワーズ、カラージの4都市でも計画中。
○イラク   
バクダッド―――建設計画が戦争のために中断している。
○シリア   
ダマスカス―――計画中。イランのテヘラン地下鉄の協力を得る契約を締結した。
○イスラエル   
エルサレム―――LRTによる地下鉄を計画中。
○ヨルダン   
アンマン―――周辺都市と結ぶLRT計画が2件ある。
○サウジアラビア   
リヤド―――2路線を計画中。
○アラブ首長国連邦   
ドバイ―――2路線のLRT建設が具体化して日本の協力で推進中。

2007年6月6日水曜日

北朝鮮の都市鉄道(4)その他の都市の都市鉄道

その他の都市

ピョンヤン以外の都市での都市交通はほとんど見るものがない状況と思われます。

(1) 清津(チョンジン)のトラム
チョンジンには1970年代にはトロリーバスが開業していました。しかし電力不足と意外にもゴムが不足してタイヤが整備不良になり、そのために運行不能になり、電気を使うトラムの建設が決定されました。
1998年11月より金正日将軍立会いのもとに、人力による建設工事が開始され、1999年7月2日に、南清津――鳳泉洞間6kmが開通しました。この路線は市内の金策製鉄連合企業所に通う労働者の通勤用トラムです。40万市民のうち5万人がこの製鉄所に通う労働者といわれています。2000年にサボン―――南清津間7kmも開通になり、全長13kmとなりました。

(2) その他の都市
現在チョンジンのトラム以外に確認されているのは、中国との国境に隣接する、新義州(シンウィジュ)のトロリーバスです。
その他の都市で過去にトロリーバスが運行されていた、といわれている都市は以下のとおり多数にのぼりますが、いずれも電力不足などで残念ながら、現在は運行していない可能性が大きいようです。
石油が取れない国なので、電気を使って地方の都市交通基盤を整備しようと、
安州、沙里院、海州、南浦、徳川、祥原、平城、順川、高原、咸興、龍台、甲山、クムゴル、元山、雲興、龍岩、江界、隠城-旺戴山。
ピョンヤンのトラム、トロリーバス

ピョンヤン市内には、トラム5路線とトロリーバス4路線、そしてバス20路線以上が稼動していて、市民の貴重な足となっています。

(1) トラム
一般のトラムは4路線あり、車両はチェコ製、中国製、ドイツ製などが使用されています。これらのトラム路線は北朝鮮人民軍の兵士たちが1990年から1991年にかけて、人力で建設したものといわれています。
  平壌駅―――満景台
  西平壌駅―――楽浪
  紋繍―――土城
  船橋―――松新(この路線は平壌駅と船橋間が廃止になり短縮された)

(2) 特殊なトラム
上記の一般市民のためのトラムのほかに、北朝鮮特有の参拝用のトラムがあります。これは金日成主席を祀る錦繍山(くむすさん)記念館への参拝専用の無料のトラムであり、スイスのチューリッヒで使用されていた中古の車両を購入して運転されているものです。軌間1000mm。参拝客の入場できる午前中のみの運転となっています。

(3) トロリーバス
北朝鮮では極端にガソリンが慢性的に不足しているため、ガソリンが必要なバスは大幅に制限せざるを得ないのです。その代わりに全国的に電気を使うトロリーバスが多く利用されています。しかしピョンヤン市以外ではその電力も不足しているようです。
現在ピョンヤン市街では4路線が稼動中です。
  平壌駅―――龍城
  平壌駅―――西平壌駅
  平壌第二百貨店―――紋繍
  黄金原―――凱旋門
なお、車両はハンガリー製が大半だが、北朝鮮製もあるようです。

北朝鮮の都市鉄道(3)ピョンヤンの地下鉄

ピョンヤンの地下鉄

ピョンヤンの地下鉄は、当時建設中だった北京地下鉄を視察した金日成主席によって建設が指示され、1968年からソ連と中国の技術支援によって工事が開始されました。工事は、北朝鮮人民軍の人海戦術により実施されたが、囚人も投入されたといわれます。
当時の金日成主席がこの地下鉄建設には、非常に熱心で1970年の開通は、韓国ソウルの地下鉄開通(1974年)より4年も早い時期でした。その金日成主席の地下鉄建設の指導ぶりは、「地下鉄革命事績館」という博物館にすべて展示されています。
最初の千里馬(Chonglima)線(1号線)は、1973年9月から赤い星(Pulgunbyol)~烽火(Ponghwa)間7.5kmで運行を関始し、1987年4月には烽火~復興(Puhung)間約2kmが延伸開業しました。千里馬線は大同江の下を横断する計画でしたが、1971年に烽火駅でトンネル崩壌事故が起き10人以上が死亡したため、大同江トンネルの建設は断念され、ルートが変更されました。
革新(Hyoksin)線(2号線)は、1975年10月に革新~楽園(Ragwon)間で開通し、1978年には革新~光復(Kwangbok)間が延伸されました。
2路線は市内中心部で立体的に交差しているが、直接は接続しておらず、千里馬線の戦友(Chonu)駅と革新線の連勝(Chosung)駅が地下通路で連結しています。また、千里馬線と革新線の線路は結ばれておらず、車両基地(地平)はそれぞれの路線に設けられています。
この地下鉄は、秘密の地下軍事施設を結ぶ目的もあり、営業している2路線以外にも政府高官専用の秘密路線もあるといわれています。例えば終点の楽園駅からの秘密の延長路線があり、中央動物園の地下まで伸びていて、有事の際の地下シェルター広場になるとか、光明駅付近から22号招待所(将軍様専用施設)の金正日将軍専用駅までの延長地下鉄路線があるとか噂されています。
実はこの将軍様の専用駅は、グーグルアースで見ることができる。次の緯度経度を入れてみると、確かにその専用駅を上空から見える。(39 06'38.19"N, 125 47'21.02"E)

また、地下鉄そのものが核攻撃や戦争時の緊急シェルターとして機能するようにも設計されています。このため深い位置に建設されており、最も深いトンネルは地表から120m(丘陵部では150m)、また駅は22m~100mの深さ(復興駅が一番深い)に建設されています。大半が単線トンネルにより建設され、平均駅間距離は1500mです。

駅名は、地名ではなくて、北朝鮮の革命思想のテーマにちなんで名づけられており、このような事例は世界でも例がありません。地下駅は大きな壁画やシャンデリアで飾られ、大理石も使用されている。主に革命指導に関する壁画が飾られており、これらは人民に対するイデオロギー及び文化教育の目的も兼ねています。
最初の車両は中国の長春車両工場製(DK4型)で、1972年から1973年にかけて納入、使用されていましたが、1996年から1997年にかけてベルリン地下鉄のGI型(1978年~1982年製)、さらに1998年にはベルリン地下鉄のD型(1957年~1965年製)中古車両を導入しています。現在は、3両編成で運行されています

北朝鮮の都市鉄道(2)ピョンヤンの都市鉄道


1.ピョンヤンの都市鉄道
ピョンヤンは人口343万人の北朝鮮最大の大都会で、政府によって選別されたエリートのみが住むことを許された特殊なショールーム的な都市です。したがってこのピョンヤンという街のみには、他の世界の大都市なみの公共的な都市交通機関の数々が用意されている魅力的な都会なのです。
ピョンヤンの交通機関を一手に握るのが、ピョンヤン市旅客運輸連合企業所です。
地下鉄 2路線
トラム 5路線
トロリーバス 4路線
バス 20路線以上
からなる大交通網を誇っています。自家用車のほとんどない都会なので、1日130万人の市民に利用されている、と言われています。

北朝鮮の都市鉄道(1)概説

北朝鮮の都市鉄道
                    
北朝鮮とはいったいどんな国なのだろうか。現在の日本からはまったく想像がしにくい国になります。しかし、朝鮮半島はかつては北部が工業国の裕福な地域で、南は農業、漁業などの一次産業の貧しい地域だったはずです。しかしそれぞれの独立以降60年も経つた今ではまったく様相が逆転しています。
北朝鮮の都市鉄道といっても、それはピョンヤン(平壌)だけがかろうじて都市といえて、都市鉄道も存在が許されていますが、その他の町は都市といえるかどうかもたいへん疑問です。
北朝鮮という国は非常に多くの地下資源を持っています。日本とは比較にならないくらい豊富な資源保有国です。しかしもっとも必要な石油だけは取れません。エネルギーとしては、石炭と水力発電による電力のみです。戦前日本が建設したアジア最大級の水力発電所がいくつもあり、電力事情には恵まれていましたが、なぜか現状は慢性的な電力不足に悩まされているようです。北朝鮮の鉄道の電化率は、5215kmのうちなんと79%もあり、お隣の韓国の21.4%(3129kmのうち)、日本の60%より、はるかに鉄道電化では先進国なのです。

2007年6月5日火曜日

トルコのトラム

2.トラム
(1)イスタンブール
 イスタンブールで19世紀から広範囲のすばらしい馬車トラムネットワークが稼動していたことはあまり知られていません。最初の路線は「コンスタンチノープル・トラム会社」の4路線の一つとして1871年に開通しました。その後1911年に電化され、ガラタ橋を中心に旧市街、新市街くまなくトラムのネットワークがはりめぐらされました。ただしアジア側にまできたのは遅れて1928年に「ウシュクダル・カドゥキョイ市民トラム会社」が1路線を開業しました。これらのトラム路線は1939年に国有化された新会社に引き継がれました。しかし戦後の自動車の急増にトラムは他都市と同様に邪魔もの扱いされて、ヨーロッパ側は1961年に、アジア側は1966年に全廃されて、バスに取って代わられました。イスタンブール市は、1990年に観光用に昔のトラム保存車両を新市街のチュネルの駅から1キロのメーターゲージに走らせて、観光客はもちろん市民にも大歓迎を受けました。
 一方イスタンブール旧市街では新時代のトラムとして、LRTの新線建設を開始して1992年に26kmの開業をみました。(写真)この路線はイスタンブールの旧市街の観光のポイントを頻繁に走っているので、観光客にはとても便利です。また現に乗車してみると市民が朝早くから夜遅くまでほとんど満員に近いほど利用されていて、まさに市民の足となっていると感じました。訪問した時にこのトラムがガラタ橋を渡って数駅先まで延伸したばかりの路線に乗車してみました。その後このトラムはカバタシュまで延長になり、そこから新しい地下ケーブルカーに接続して、それに乗るとタクシム駅でメトロに乗り継ぐことができるようになりました。このルートを利用すると、新市街のレベントから旧市街のアタチュルク国際空港まで鉄道で一気につながって非常に便利になったものと思われます。
(2)イスタンブールのアジア側のカドゥキョイ
 ここでもイスタンブール新市街の観光用保存トラムと同じように、2003年に37年ぶりにトラムが戻ってきました。旧東ドイツからのアンティークな2軸の中古電車を入手して、カフェやブティークなどのお店を一方向に巡回するように運行しています。訪問時にフェリーでカドゥキョイ埠頭まで行きながら、トラムまで見る時間的な余裕がなかったのは残念でした。
(3)コンヤ
アンカラの南約250kmの奇岩の連なるカッパドキアの近くに人口50万人あまりのコンヤという街があります。イスラム神秘主義の一派メヴラーナ教団発祥の地です。その教団はアタチュルクによって解散させられ、今では霊廟がメヴラーナ博物館になりこの教団の儀礼である踊りは観光用に上演されています。
このコンヤの街のメインストリートを3車体連接の路面電車が走っています。赤と白が基本ですが、窓下に広告を描いた車両や、車体を黄色や青に塗り分けた広告電車もあります。車両はドイツ製の中古車両を購入したのでしょう。そのためドイツやオーストリア等ヨーロッパでよく見かける顔をしています。(写真)赤と白の車体に大きなパンタグラフをのせていて私の大好きなタイプです。終点は市の中心にある小高いアラアッディンの丘のまわりをぐるりと一周する構造のため、片運転台片側ドアの構造で、バックにモスクがなければヨーロッパそのものです。このアラアッディンの丘には、アラアッディン・ジャミィというイスラム教の古いモスクがあります。もう一方の終点は市の北部の大学構内で、その途中にはUFOのようなユニークな構造をしたオトガルというバスターミナルがあります。余談ですがトルコではどの都市でもオトガルといわれるバスターミナルが市民の交通の中心になっています。
このトラムには乗ってきました。終点のアラアッディンの丘から数駅のみ乗ってみましたが、スピードはかなり速く、しかも乗り心地は上々でした。昼近くなのに座れないくらいの混雑ぶりでした。乗る前に小屋のようなキップ売り場でペラペラ紙の小さいキップを購入して、乗るときにそれを小さな金属の箱に大喜びで入れたと記憶しています。路線は1本のみですが、電車は次から次へとどんどん来ていました。貴重な経験でした。

以下のトラム3都市はトルコ訪問時には行くことができませんでした。トラムの内容もよくわからないことばかりです。ご興味のあるかたは下記の「Tram Picture Book」というホームページのトルコの各都市のページで、きれいなトラムの写真が見られます。(http://www.trampicturebook.de/)
(4)アンタルヤ
トルコのリビエラといわれるアンタルヤは、地中海に面したトルコ観光のメッカです。年間300日も太陽が輝くこの地域は、日光浴、水泳、ウィンドサーフィン、水上スキー、ヨット、登山、洞窟探検などの様々なスポーツが楽しめるパラダイスです。3月か4月にアンタルヤを訪れると、午前は山でスキー、午後は暖かな地中海の海で泳ぎを楽しむこともできるといわれています。松林、オリーブやオレンジの果樹園、ヤシ、アボガド、バナナ等のプランテーションが、広がる風景の中にいくつも点在しています。観光客用のホテルからデラックスなホテルまで幅の広い宿泊施設が完備され、楽しく快適な休暇が楽しめるリゾート地です。この海岸通りに1999年にトラムが開通しました。考古学博物館前のミュゼ駅からゼルダリリッキ駅までの5.1キロ、9駅、1435mmを30分間隔で2両連結のニュルンベルグからの中古トラムがのんびりと走っています。
(5)アダナ
 アダナは地中海側の最大の近代工業都市でトルコ第4の人口(131万人)をもつ大都市です。綿工業を中心に繁栄してきました。2002年にトラムが開通しました。詳細は不明ですが、13.3km、13駅、1435mmのようです。
 途中のヴィライット駅はインターネットで見ると大規模な地下駅になっていて、その掘削工法に苦労して地元の大学が大活躍したと出ています。
(6)エスキシェヒル
 エスキシェヒルというのはトルコ語で「古い町」という意味だそうです。トルコ中部のイスタンブールとアンカラの中間にある人口51万人の中都市で、煙草パイプの材料として有名な海泡石の産地としても世界的に知られています。ここに2004年9月にトラムが誕生しました。2路線が開通し1号線9.8km、2号線4.7kmで合計14.5km、26駅、1000mmで、ターンキイベースでボンバルディアと地元の会社と契約して完成しました。車両はボンバルディア製のFlexity Outlookの100%低床の車両を5両連結18セットで運用しています。

トルコの地下鉄(ブルサ)

(4)ブルサ
イスタンブールとマルマラ海の対岸にあるブルサは、人口132万人の商業都市で、農産物の集積地であり、絨毯などの毛織物の産地としても有名です。緑のブルサともいわれていて、旧市街はローマ時代の城壁に守られていて、遺跡と樹木の多い、落ち着いた古い街です。1326年にオスマン王朝は最初の首都をこのブルサに定めました。もっと古くはシルクロードの一つの終点はこのブルサであったとも伝えられています。市内には今でも温泉が湧き出し、すぐ近くには緑豊かなウル山の山麓地帯が広がるトルコ有数の観光地です。この由緒ある古い都に2002年に最初の地下鉄が開通しました。
 ブルサ市の市域は東西双方向へ40kmも伸びており、また市内は勾配が急で狭い道路が多く、公共的な大量輸送網の整備が課題となっていました。今回の地下鉄開通区間は1997年に建設が開始され、市の北部と西部に位置する産業地域と市中心部とをY字状に結ぶ路線です。ヨーロッパ風のとても感じの良いブルサの地下鉄は2002年8月に開通しました。東西線(2号線)と途中からY字のように分岐した北線(1号線)とからなり、大部分は既存の道路の中央分離帯部分を走行し、市中心部の4kmは地下を走行しています。4か所の幹線道路との交差点では道路は地上を通り、電車は地下で幹線道路と交差するようになっています。なお、ほとんどの地上駅ではホームの下の地下部分に駅のコンコースが設けられていて、駅に入るには歩道から道路の下の地下通路を通って入る方式になっています。
 電車はドイツ製の写真のような清潔な車両で、3~4分間隔で走行しています。ワンマン運転で運転手がマイクで案内するとか、冷房装置はなしで夏季は窓を開けて走るとか、各駅でたくさんのバス路線と連絡しているとか、数駅でパークアンドライドを試験的に始めたなど、数々のユニークな施策を実施しています。この地下鉄を運行しているブルサライという会社の社員が、私が訪問した時に案内してくれましたが、非接触式ICカードを普及させるために、これを使用する場合には運賃は半額になる、などこの地下鉄の運用の特長を出すための苦労話をたくさん説明してくれました。
現在計画されている都市鉄道網は、単に市中心部をカバーするだけでなく、都市圏を構成するマルマラ海に面する港湾地域とを結ぶもので、全長55kmのネットワークを4段階に分け、2015年までの完成を目指しているとのことです。最近現在の終点駅から東方向に旧市街地の中心部の地下4kmの延伸工事が開始され、その完成の後は、乗客数30%以上増加するものと期待されているとのことです。現地を見学してみると延長工事をしている地域は旧市街の中心部で、有名な緑色のモスク等の多くの古いモスク、霊廟、博物館、美術館などがあり人々で街があふれていました。早急な地下鉄延長区間の開通が待たれているのが実感できました。長期的にはその先の東方面の大学までの延伸と、市北部のバスセンターへの支線が引き続き計画されているようです。

トルコの地下鉄(イズミール)

(3)イズミール
イズミールは古くはローマ時代にはエーゲ海の中心都市として大いに繁栄しました。しかしその後は度重なる外敵の侵入や地震などによって、何度となく街は大きく破壊されました。最近では第一次世界大戦後のギリシャとの戦争でここが激戦地となり、街は破壊しつくされました。しかしそこから完全に復興したイズミールはトルコでもっとも発展し、トルコ最大の輸出貿易港のある都市として繁栄を続けています。
イズミール地下鉄の最初の開通は2000年8月に11.5km、10駅でした。(写真)この路線は1989年に決定されたイズミール市の交通マスタープランに基づいています。この計画では、市の中心部を走る路線と、これに接続して郊外に伸びる4本の路線からなる50kmのメトロネットワークを2010年までに完成させる予定でした。計画の第一段階として、最も交通混雑の激しいイズミール湾に沿って、約9kmを建設する方針でしたが、コスト面からその建設計画は変更され、トルコ国鉄の郊外線の路線敷を賃借することにより大幅に建設費を削減して、当初とは反対方向への建設が行われました。現在開通している路線は、全長11.5km、10駅の1路線で、市中心部4.4kmは地下区間で、他は高架と地上区間となっています。2つの駅でトルコ国鉄と連絡しています。
現在は3両編成、最小運転間隔4分で運行されていて、ちょうど訪問したのが日曜日だったためか相当な混雑ぶりでした。将来は5両編成、2分間隔での運行が予定されているようです。また西の方への5.2kmの路線の延伸がすでに建設計画されていて、その一部の路線はすでに工事を開始しているようでした。
すべての駅のホームと改札口付近に、真っ赤な大きな消火器ボックスがいくつも設置されていることと、改札口には必ず警察官が監視していて不審な手荷物は中を開けて厳しくチェックをしているのが印象的でした。私は事前に日本地下鉄協会の関係者から先方の責任者に写真を撮影する許可を、トルコ語の文書でいただいていたので、それを提示して助かりましたが、とても簡単に写真撮影などはできにくい警戒の厳しい雰囲気でした。これはアンカラ、イスタンブールとはかなり違った面でした。

トルコの地下鉄(アンカラ)

(2)アンカラ
アンカラはトルコ共和国初代大統領アタチュルクが1923年の共和国誕生と同時に、当時人口わずか6万人のこの都市を首都に定めました。以来アンカラは、長期的な都市計画のもとに急速に開発が進められ、近代都市のモデルとして見事に作り上げられました。
地下鉄は、最初に開通したライトメトロとその後の本格的なヘビーメトロとの2路線が
稼動していて、クズライ駅でこの2路線は乗り換え可能です。
最初の開通は1996年8月、ライトメトロの1号線(ANKARAY) 8.5km、11駅でした。(写真)6.6kmが地下で、11駅のうち10駅は地下式。途中のクルトゥルシュ駅から郊外電車に乗り換え可能で、終点のアシュティ駅には大規模のバスターミナルがあります。
引き続き、1997年にヘビーメトロの2号線(METRO)の14.6km、12駅が完成しました。うち6.5km、11駅が地下です。(写真)この路線の始発はクズライ駅で、ここで1号線と乗り換えができます。
これら地下鉄建設は、1986年策定のアンカラ・マスタープランが、1994年に再検討の上修正され、ライトメトロ22km、ヘビーメトロ44.5km、郊外鉄道63.5kmの合計130kmのネットワークを2015年に完成することを目指しています。

トルコの地下鉄(イスタンブール)

1.地下鉄
(1)イスタンブール
 イスタンブールは「ヨーロッパとアジアの架け橋」といわれ、世界各地からの観光客にあふれた観光都市です。この東西文明の接点ともいえるイスタンブールは、ボスポラス海峡によって、文字通りヨーロッパ側とアジア側に分かれていて、この両大陸をまたぐ「ボスポラス海峡横断鉄道」が計画されていて既に最近建設が開始されています。これは日本のODA(政府開発援助)を使って、日本の企業が参加して、ボスポラス海峡の下にトンネルを沈めて、イスタンブールの中心部を東西に結ぶ地下式鉄道(4駅、11.3kmの計画)を建設して、アジア側、ヨーロッパ側の既存の鉄道路線との相互乗り入れも実現することになっています。これが実現すると、有名な第二ボスポラス橋とともに、日本とトルコの友好の架け橋として両国にとってとても有効な建造物として歴史に残るものになるだろう、と誇らしく思えます。
現在イスタンブールには4種類の地下鉄があります。まるで世界の地下鉄博物館です。図のイスタンブール交通図で地下鉄とトラムの路線地図を示します。
いちばん古いのは地下ケーブルカーで「チュネル」と現地では呼んでいます。「チュネル」とは「トンネル」という意味のトルコ語だそうです。1875年に蒸気機関で開通したもので、世界最古のロンドンの地下鉄(1863年開業)に次いで世界で二番目に古い地下鉄になります。このチュネルの開通の歴史がたいへん面白く、フランス人のGavandという人がこの路線を発案して、当時のトルコ国王に建設を申請し、やっと許可を得たものの母国フランスには賛同する人がなく、イギリスでたいへん苦労して出資者をみつけて会社を設立し、1971年に掘削を開始しました。3年かけて完成したものの、次の国王は地下鉄道には非常に懐疑的でなかなか運行開始の許可がおりず、最初は人間の代わりに何度も何度も家畜を乗せて安全性を証明したと伝えられています。その後1905年に電気動力化され、1971年に現在のようなゴムタイヤのボギー車が採用されました。
もう一つの「フニクラー」といわれる最新の地下ケーブルカーが、2006年6月に完成しました。これは海岸沿いのトラムと本格的な地下鉄メトロとを結ぶもので、これにより旧市街と新市街との連絡が非常に便利になりました。この路線は私が訪問した時はまだ工事中でした。
第3は「ライトメトロ」という地下鉄で、旧市街の中心部からアタチュルク国際空港までの一部地下のLRT方式のメトロです。 1989年に7.0kmが開通しました。順次西の郊外に延伸されて、2002年に空港駅まで伸びました。現在全長20km、18駅で、地上はすべて専用軌道、一部(6駅)地下式です。この路線は計画によると、将来はイェニカプ駅まで延伸されて、後記のフルメトロとそこで接続される計画になっています。
最新の地下鉄は、本格的なフルメトロで「メトロ」と呼ばれています。2000年9月に7.9km、6駅が開通しました。全線地下で各駅にはエスカレーターとエレベーターが設置されています。施工はカットアンドカバーで行われ、大きな地震にも堪えられるように建設されました。各駅のホームは、形は似ていますが、色彩で区別をしています。この路線は南北へ延伸工事を行っていて、南へは市内は地下式でイェニカプ駅までの延伸工事を鋭意実施しています。しかし金角湾はトンネルではなく橋で渡る予定になっています。また北へは工科大学のあるアヤガザ駅までの延伸が見込まれています。
イスタンブールの地下鉄、トラムのキップのなかでたいへんユニークなのは、アクビルという公共交通システム共通のプリペイドの乗車券です。写真のような変わった形状をしているものです。黄色いプラスチックの取っ手にボタン電池そっくりの金属がついていて、この金属部分を自動改札機の突起部に接触させて入場します。専用窓口でお金を支払ってチャージすれば何度でも使用でき、メトロ、トラム、バス、フェリーに共通でした。ただしチュネルだけは使用不可でした。アクビルというのは、トルコ語で「賢いキップ」という意味の「アクルルビレット」を短縮した呼び名とのことです。

トルコの都市鉄道(1)概説

トルコは日本からはるかに離れているわりには、日本人にはなぜか親しみやすい国です。
このトルコには現在地下鉄が4都市(アンカラ、イスタンブール、イズミール、ブルサ)で運転されていて、トラム(トルコ語でトラムヴァイ)は、イスタンブール市では旧市街、新市街(観光用)のほかに郊外のアジア側のカドゥキョイの3ヶ所、コンヤ、アンタルヤ、アダナ、エスキシェヒルの5都市で稼動しています。そのほかに計画中の都市が3都市あり、それはカイセリ、サムソン、ウスパルタです。
 トルコの国内交通は都市間については鉄道よりもバスが主流です。トルコ国鉄は1856年に開通になり、日本より16年も歴史が古いのですが、日本の約2倍の面積の国土で人口は日本の約半分ですので、インフラ投資は道路に集中され、鉄道よりもバスが現在主流になっています。トルコの道路は実際に走ってみると思ったよりよく整備されていて、世界有数のバス大国とまでいわれるくらいバスのサービスは完備しているようです。
トルコの都市交通については、19世紀にトルコで市電を持つ都会は、イスタンブールとイズミールの2都市だけでした。現地で入手した絵葉書にトラムが描かれています。その後トルコは経済的にも非常に発展しましたが、都市交通の分野では従来はかなり立ち遅れていました。しかし最近になって上記のように急ピッチで都市交通も整備されてきました。現在の地下鉄4都市、トラム5都市はアジアではかなり上位にランクされる国だと私は思います。
2005年3月に「世界の地下鉄」の原稿調査のために、私はトルコの4都市の地下鉄の当時稼動していたすべての路線を、端から端まで乗車してきました。図にトルコ全図と地下鉄とトラムのある都市名を示します。